ぼくは、ちょっとすねていた。
押し入れに入ってもう一時間ほどになる。
くらやみの中に、丸めたティッシュがたくさん落ちていた。
「どうして、お姉ちゃんのお古じゃなきゃいけないんだよ」
ぼくは、なっとくできない。
新しいのを買ってもらえないのはしかたない。それぐらいはわかっている。
気に入らないのは、自転車の色ともようだ。
ピンクでキティちゃんの大きな絵がかいてあったら、女の子みたいだって、ぜったいばかにされるんだ。
そうに決まっている。
階段を上がってくる二人の足音が聞こえた。
「いつまで、そうやっている気なの」
お母さんが、押し入れのふすまを少し開けた。
ぼくは、ピシャリと閉めてやった。
「わかった。じゃあ、父さんがお前の好きな色に塗ってやる。それでどうだ」
ぼくは、何もこたえなかった。
「それでもだめか? でも、がまんすることも大切だぞ」
「わかったよ」
ぼくは、鼻水をすすりながら、押し入れのふすまを開けた。
「じゃ、何色にする」
「黒・・・・・・」
結局、ぼくはそれでなっとくしてしまった。
父さんは、すぐにホームセンターから黒いペンキを買ってきた。
ぼくは、作業のようすをそばでながめていた。
ニスのにおいがプンプンしていた。
自転車は、みるみるまに黒くぬられていった。
もちろん、キティちゃんの絵も消えた。
そして、夕方には、まっ黒な自転車ができあがった。
「のってみろ」
父さんが、ぼくの肩をたたいた。
ぼくは、サドルにまたがって、ペダルを回してみた。
いきおいよくタイヤが回った。
こんな自転車でも、自分のだと思うと、ちょっぴりうれしかった。
「うれしいか」
「うれしくないよ。がまんしているだけさ」
ぼくは、思わず反対のことをいってしまった。
次の日、ぼくは自転車で、家の近所を回ってみることにした。
「みんなどう思うだろうか」
わくわくしたけれど、もしかして、ばかにされたりしないだろうか、なんて思ったりもした。
ぼくの初サイクリングが始まった。
借りた自転車ばかりの今までと違って、自分の自転車で走ると気分がよかった。
いつもの公園、線路ぞい、商店街と、ぼくはまわった。
やがて、自転車屋の前にさしかかった。
お店にならぶ自転車は、どれもかっこいいやつばかりで、ピカピカに光っていた。
ふと目をやると、ガラス戸に自分の自転車がうつっていた。
やっぱりかっこ悪かった。
「もう、新しいのはいいや」
ぼくは、ふたたび走り出した。
自転車は、団地の下まできた。
ぼくは、自転車を団地の玄関先に止め、直樹の家まで上がった。
自転車の話をすると、直樹もうれしそうな顔をした。
「見におりるよ」
「まぁ、お古だけどね」
ぼくは、ちょっとだけてれた。
「そうだ。今からサイクリングしようよ。ちょっと待って」
「オッケー」
直樹が出てくるのを待って、ぼくたちは下におりた。
ところが、止めておいたはずの自転車が消えていた。
ほんの十五分ほどの出来事だった。
ぼくは、泣きそうな気分になった。
直樹といっしょに、必死に近所を探してまわった。
でも全然見つからなかった。
ぼくは、とにかく大急ぎで、家まで走って帰った。
そして、ふたたびお父さんと一緒に探しに出ることになった。
自転車で走ったコースを中心に、直樹の団地あたりまで探し歩いた。
見つからないまま、気づくと、すっかり空が暗くなっていた。
「今日は、あきらめるしかないな」
「うん」
ぼくたちは、だまったまま家へと帰りはじめた。
やがて、自転車屋の前にさしかかった時、お父さんは、ふとぼくの方をふりかえった。
「なぁ、お前、新しい自転車が欲しいから、わざと隠したとかじゃないよな」
「そんなわけないよ」
「ほんとうか?」
お父さんは少し怖い顔をして、ぼくの顔をのぞきこんだ。
その顔を見て、ぼくは頭のなかがカーッと熱くなってきた。
「なんでそんなことをいうんだ。お父さんなんか嫌いだ」
ぼくは、とびきり大きな声でさけんだ。
そして、お父さんをつき飛ばして走り出した。
ぼくはがまんするっていったはずだ。お父さんは何もわかっていない。
とてもくやしくて悲しかった。
家に帰ると、お母さんが「みつかったの?」といった。
「もういいよ!」
ぼくはさけぶと、部屋にかけこんで、ベッドにもぐりこんだ。
「ひどいよ、あんなの・・・・・・」
胸が苦しくて仕方なかった。
そして涙がボロボロとこぼれた。
涙をぬぐいながら、ぼくはそのまま、いつのまにか寝てしまっていた。
ふと目が覚めると、汗びっしょりだった。
ベッドのそばには、お父さんとお母さんが立っていた。
「もういいよ。自転車なんかいらない」
ぼくは、またふとんをかぶった。
「ごめんな。父さんが悪かった」
お父さんがぼくの横にすわった。
「お父さんは、最低だよな。疑うなんて。許してくれるか」
ぼくは、少し顔を出した。
「じつは、自転車見つかったのよ。近くの中学生が古そうだからって勝手に乗りまわっていたのよ。いまさっき、おやごさんがあやまりに来てたの。また改めてくるそうよ」
「じゃ自転車は・・・・・・」
ぼくは、すかさずきいた。
お父さんとお母さんが、ちらっと顔を見合わせた。
「ただ、こわれてしまったところがあってなぁ」
「直せるかなぁ」
「直そうと思えば直せないこともないけどさ」
その言葉に、ぼくはホッとした。
「じゃあ直してくれる?」
「いや。直すつもりはない」
お父さんは、まじめな顔でいった。
ぼくは、もう自転車に乗れないのかと思った。
ところが、お父さんは、まじめな顔からすぐにやさしい顔になった
「じつは、父さんは、新しい自転車を買ってやろうと思っているんだ。お前には悪いことをしたしな」
「あなた、いいの?」
「ああ、いいさ」
お母さんの言葉に、お父さんはうなずいた。
でも、ぼくは、ちょっとなやんでいた。
あんな自転車だけど、ぼくの初めての自転車だ。
それに、まだ一回しかのってない。
「うれしいけど、やっぱりぼく、黒い自転車でいいいよ」
「ほんとうか」
お父さんもお母さんも、いがいなようすだった。
ぼくはうなずいた。
「ほんとうにいいのね」
「うん。もう少しのってみるよ。だって、ぼくの大事な自転車だから」
ぼくは、とびきりの笑顔でそう答えた。
心が、スカッと晴れやかな感じだった。
おわり。